皆様こんにちは!
コロナウイルスに伴う緊急事態宣言が一部解除されましたね。
これで安心と思っていてはいけません。
かつて流行した「スペイン風邪」は第2波により最も死者がでたと言われています。
安心しきって油断していると、すぐさま第2の流行がやってきます。
疫病の歴史について少し調べてみましたので、参考にしてみてください。
今回は「疫病の歴史を見るとスペイン風邪第2波がヤバい!死者数と原因は?」と題してお送りさせていただきます。
疫病の歴史を振り返る
疫病の歴史を見てみると、中国発と言われる言説が多く、疫病が発生するたびに地球の歴史に大きな影響を与えてきています。
■中性ヨーロッパを襲ったペスト■
8世紀頃に約2700万人だったヨーロッパ。
その後、順調に増大して1300年には7300万人にまで膨れあがりました。
しかし1348年にペストが大流行し、
わずか3年間で人口の三分の一を失ってしまいます。
健康な人間が伝染病で次々と倒れていく様を見た人びとは、
今まで信じていた神に懐疑的となり、これが宗教改革のきっかけとなりました。
この時のペストがどこで発生したかについては
諸説ありますが、もっとも有力な説は
中国の南宋王朝で流行したというもので、
南宋と戦っていたモンゴル軍へと伝染したというものだ。
チンギス・カーンの孫のモンケ・カーンはその途上でペストにより病死しています。
モンゴル帝国はアジアの大半から
ヨーロッパにかけて広大な領土を占有していて、
その支配下で中央アジアのステップ地帯を横断する東西貿易が盛んでした。
その交易品の中にペスト菌を運ぶネズミがいたのだと言われています。
これによりペストは西アジアからクリミア、ベネチア、北アルプスを経て、ヨーロッパ全体に広がることになりました。
そう!
シルク・ロードは疫病の通り道でもあったのです。
モンゴル帝国は1200年から1350年に
最盛期を迎えたが、その後、弱体化し分裂していきます。
中国においては1368年、
朱元璋が中国華南地域を統一し、明王朝を建てます。
モンゴル帝国が衰退した理由の一つに
異常気象とそれに伴う飢饉、ペストの大流行が挙げられています。
1200年には1億3千万人だった中国大陸の人口は、
1393年には6千万人と半分以下になってしまった。
■相継ぐ中国発の疫病大流行■
新たな支配者となった明朝ですが、1644年に滅亡してしまいます。
その原因の一つになったのがやはり疫病の大流行でありました。
明朝末期の萬暦・崇禎(1573年~1644年)に、
華北地方ではペストや天然痘が猛威を振るい、
少なくとも1千万人の死者が出たといいます。
同時に飢饉が続き、怖いですが民衆が共食いをしたという記録が残っているみたいです!
各地で農民が反乱を起こし、流民・流賊の移動よって、さらに疫病を広げてしまう結果となりました。
その混乱をついた満洲族王朝・清がですが、1644年に中国本土に侵入して征服しますが、順治18(1661)年の人口はわずか2460余万人。
明王朝が最盛期だった三分の一。
1820年には広東でコレラが大流行し、翌年には北京にも広まります。
1822年10月から11月中旬にコレラは初めて日本に上陸し、全土に広まった。
経路については2つあり、
中国との貿易拠点である長崎経由で伝わったという説と、
朝鮮から対馬経由で入ったという説があります。
いずれにしろ、日本は鎖国中であったにもかかわらず、
わずかな隙をついて、中国発のコレラに襲われてしまいます。
19世紀末には雲南省で発生したペストが中国全土に広がります。
広東省から香港を経由し、船でサンフランシスコに伝染し、全米に流行した。
インドでも600万人が死亡。
この時、香港は英国の統治下にあったが、
英国側の調査に対して、香港の衛生担当者は
「ペストなどありえない。雨がふれば大丈夫」
と答えていました。
■地球規模のウィルス感染■
1918年秋に全世界で「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザが猛威をふるいます。
世界で6億人が感染し、死者は2千万人から4千万人と言われています。
日本でも2300万人以上が感染し、39万人が死亡。
米国での死者は、南北戦争と第二次世界大戦の戦死者よりも多かった。
「スペイン風邪」という名称から、
スペインが発源地と思ってしまいますが、
スペイン王室の一員がこのインフルエンザにかかって新聞に報道されたことから、この名称が使われるようになったといいます。
そもそもの原因は1918年5月末、フランスのマルセイユで流行し始め、半月ほどの間に第一次世界大戦の西部戦線でにらみ合っていた両軍兵士たちの間の蔓延からだと言われています。
一説ではマルセイユの前にインドで発生していて、
インド─マルセイユ間を行き来する
船に乗る人々によってフランス南部に
持ち込まれたと言われています。
そしてインドには中国・広東省から伝染した
という説が多くの学者によって支持されています。
別の説では中国人労働者から米国内の米軍人が感染し、彼らがマルセイユ経由で欧州に派兵させられたことによって西部戦線に広がったという考え方もあります。
20世紀に入ってからはウィルスによる感染症の地球規模の大流行は3度ありました。
このスペイン風邪と、
57年のアジア風邪、
68年の香港風邪である。
いずれも中国発のインフルエンザだと言われています。
■清浄の思想を持たない中国人■
さてなぜこのように中国が様々な疫病の発源地となるのでしょうか?
ある説ではこうです。
中華文明は黄河の濁流から生まれた。
そこから、穢れを忌避しない儒教のドグマ(教義)ができあがります。
結論から言うと、中国人は文明が誕生したときから今まで清浄の思想がなかったというのです。
その結果、世界でもっとも不衛生で不潔な国ができあがったのであります。
かつて日本に留学し、軍隊生活も経験していた蒋介石は、日本人の生活の規則正しさと清潔さに驚いたといいます。
蒋介石は、中国人はどこでも構わず痰を吐き、家の中は掃除もしない。
食事は立ったままで、野菜の切れ端や残飯はあたりに撒き散らかされ、足の踏み場もないほどだ、と嘆き、
1930年代に「新生活運動」を鼓舞して、日本に学ぼうとしたほどです。
しかし、数千年来の生活習慣の取り組みは、
一時的な精神運動でしかなく変わることはありませんでした。
現代中国においても、日系企業で働く者の様子について次のように述べられています。
5階建ての立派な寮があるのだが、
その隣にある平屋の建物の屋根には
残飯がたくさん散らばっていた。驚いて日本人社長に聞くと、
寮の女子作業者たちが食べかすを
窓から投げ捨ててしまうのだという。見つけたら罰金をとるなどして
一生懸命にしつけようとしているが、
なかなか直らないと、その社長は嘆いていた。工場では一生懸命に働き、
また田舎の父母に仕送りをしている
感心な女の子が多いのだが、
勤勉や親孝行という徳目はあっても、
「清浄」という思想はないようだ。
■シンガポールは中国系の住民が大半だけど清潔!■
シンガポールは中国系の住民が大半だが、清潔で美しい街です。
それもそのはずです!
だって罰則が凄いから!(笑)
たとえばタバコの吸い殻を路上に捨てると
150シンガポールドル(約1万2千円)
バスからゴミを捨てたら1000ドル(約8万円)
その他、痰を吐いても、公衆トイレを流し忘れても罰金が科される。
どうやら中国人には「清浄」の観念が
欠如しているので、衛生向上のためには
法によって厳しく罰する以外、手がないのですね。
罰則による一つの成功例ですが、もう一つあります。
日本統治時代の台湾です。
清朝時代の台湾は
「瘴癘(しょうれい、風土病)の地」
とも呼ばれ、毎年のように数千名のコレラ患者が発生していました。
台湾平定時の日本軍は戦死者164名に対し、病死者が実に4,642名という有様!
内務省衛生局長から台湾の民政長官に抜擢された後藤新平は疫病予防は上下水道の設置から始まるとして、大規模な上水道と、パリの下水道にならった排水路を建設します。
また主要道路は舗装することで深い側溝を作り、汚水雨水の排出を速やかにした。
ほとんど都市の形をなしていなかった台北ですが、大都市計画を実行し、整然とした清潔な市街を作り上げていきます。
さらに伝染病を抑えるために、台湾医学校が設立されて、多くの台湾人医師を育ててきました。
こうした努力により、台湾では日本と同様の近代的な公衆衛生インフラが築かれたのであります。
しかし日本の敗戦によって
台湾に入ってきた国民党軍によって再び疫病を持ち込まれます。
1946年にはコレラ、ペスト、翌年には天然痘が大流行した。
いずれも日本統治時代に絶滅していた疫病です。
この時は国連の指導と救援で、なんとか疫病撲滅に成功。
■「東亜の病夫」■
こうした公衆衛生インフラの欠陥があったため、中国は国外に疫病をまき散らしてきました。
揚子江流域は、
世界最大のB型ウィルス感染地帯であり、
感染者は1億人。
農村では6千万人から1億人の住血吸虫患者がいます。
WHO(世界保険機構)の資料では、
首都・北京でさえ、人口の5割は寄生虫保卵者であるとしている。
そのほか肺結核感染者が4億人いると中国の衛生省が発表している。
さらに栄養不足や環境悪化からくるカルシウム不足が深刻化しており、
1億5千万人が歯の病気、骨疎症にかかっていると言われています。
またエイズにいたるHIV感染者・患者数は、
2001年末の中国の公式報告では3万736人だったのが、
02年上期ではすでに感染者・患者数は100万人を突破!
「対策が不十分だと、2010年には感染者は1千万人に達する」との予測が発表された。
スペイン風邪は第2波がヤバかった?
致死率は低いものの被害者数は他の疫病よりも群を抜いています。
第1次世界大戦中に世界を襲い、戦争の終結を早めたとはいえ、6億人ですからね!
しかも戦争による死者よりも、スペイン風邪による死者の方が多いわけです。
引用:https://influ-info.jp/basic/history.html
いまコロナウイルスもひと段落を迎えていますが、スペイン風邪の教訓からも、歴史的にみても第1波よりも第2波に注意するべきだと言われています。
日本では、1918年11月~1919年6月が第1波と言われています。
調査によれば
第2波の方が死亡率が高いと記録があります。
1回目に感染した人が再感した場合は軽症で、2回目で始めて感染した人は比較的重症になりやすく、死亡率は第1波の約4,5倍に及んだそうです。
こういった教訓からも単純にコロナの第2波に対する警戒をしていかなければならないということになります。
いったん収まった韓国ではクラスターがあり、中国の武漢でも再び感染者がでてきました。
おわりに
さて皆様いかがでしたでしょうか?
今回は「疫病の歴史を見るとスペイン風邪第2波がヤバい?死者数と原因は?」と題してお送りさせていただきました。
要点を掻い摘んで書いてみましたが、中国が不衛生な国であることが、思想的な側面から認められることが分かりました。
コロナだけではなく、様々な疫病を国内に潜在しているわけですから、東亜の病夫と呼ばれても仕方ないですね。
そして、スペイン風邪ですが、必ずしも同じような結果に相似するとは限りませんが、政府は警戒して新たに戒厳令を敷く方向に進んでいくのかなと思います。
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。
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