皆様こんにちは!
夏といえばカキ氷にアイスに、そして「カルピス」です!(笑)
小さいころによくペットボトルで飲んでいたことを覚えています!
あの甘酸っぱさがなんとも懐かしいです!
乳酸菌飲料は子どもの飲み物かとばかり思いますが、大人に向けたカルピスもありましたね!
今回はアサヒ飲料株式会社社長の「岸上克彦(きしがみ かつひこ)」さんのプロフィールや経歴、そして出身校と家族構成について紹介したいと思います!
岸上克彦(アサヒ飲料)のプロフィールや経歴は?
現在アサヒ飲料株式会社社長の岸上克彦さん。三島海雲さんの旧カルピス社も兼任したそうです。どんな経歴を持っているのか気になりますね。
まず岸上克彦さんのプロフィールを見ていきましょう。
岸上克彦のプロフィール
役職 | アサヒ飲料株式会社社長 |
名前 | 岸上克彦(きしがみ かつひこ) |
生年月日 | 1954年1月1日 |
出身地 | 京都府京都市生まれ
東京都北多摩郡(現武蔵村山市)出身 |
出身高校 | 海城高校 |
出身大学 | 立教大学 |
趣味 | サッカー・ゴルフ |
岸上克彦の経歴
1954年に京都府京都市で生まれました。
1976年立教大学経済学部を卒業後、カルピス食品工業に入社し、1991年初代「カルピスウォーター」のブランドマネジャーに就任します。
カルピスウォーターを大ヒットさせます。
その後
- 1999年:東京支店次長
- 2003年:ストレート飲料事業部長
- 2005年:執行役員昇格
- 2008年:常務執行役員
- 2013年:アサヒ飲料常務取締役カルピス営業本部長
- 2014年:アサヒ飲料専務取締役
- 2015年:アサヒ飲料代表取締役社長とカルピス代表取締役を兼務
- 2019年:カルピス代表取締役社長を退任
入社2年目に取引先と大ゲンカ
岸上克彦さんの経歴を調べていて強烈なエピソードだと思ったので取り上げてみます。
入社2年目の営業マンだったころ。営業所は少人数だったため1人でオールチャネルを担当していたが、これが仇となって失敗してしまったらしいです。
電話口の大口顧客の支店長と大喧嘩に。当時は若気の至りで強くカルピスの売り方を正論で吐いたが収拾がつかなくなり怒られ、出入り禁止になったという。
「エリアの責任を持つようになり、営業としてはいろいろなことを一気に吸収できた反面、何でも仕切ろうとしたことが裏目に出てしまった。もしあのとき、段階を経て成長していれば、正論を吐くにしても相手の意見を聞き、もう少し幅を持った知識で対応できたのではないかと思っている」
以後、旧カルピス社のマーケティング部門に異動となり、ブランドの持つ力を見せつけられる。
岸上克彦(アサヒ飲料)の出身校と家族構成も調査!
岸上克彦さんの父親はサラリーマンで、父親の転勤で東京に移り住み、海城高校を卒業し、立教大学に進学。
大学時代は「サッカー愛好会」に所属。
「新関東フットボールという同好会のリーグ戦に加入していて、他大チームとも対戦しました。私の時代は一部と二部ギリギリの実力で、入れ替え戦の常連。真剣に練習したし、一部に残留できたときに仲間と酌み交わしたビールは本当にうまかった(笑)」
3年次生のときはキャプテンに
「試合に出て勝ちたいという人もいれば、趣味として楽しめればいいという人もいる。そこは体育会サッカー部とは違うところです。さまざまな考えを持つメンバーをまとめながら、サークル全体のバランスを取っていかなければならない。たくさんの人と接して多様な意見に耳を傾けたことはとても良い勉強になったし、いま思えば、その後の人生にも役立つ経験になりました」
在籍していた経済学部では、英語の専門書の原典購読が多かった様子。
当時は学生のバイトは多くはなかったが、家庭教師やウェーター、旅行会社の添乗員の仕事などいろいろなアルバイトを経験したという。
就活シーズンは氷河期時代だったこともあり、比較的に不況に強そうな食品業界を選択し、一番早く内定がでたカルピス社に入社したとのこと。
岸上克彦(アサヒ飲料)の家族構成は?
岸上克彦さんは、カルピス由来の乳酸菌科学シリーズ対象としたキャンペーンで「届ける、乳酸菌てがみ舎」を2018年8月1日に実施しています。
いつまでも健康であってほしい家族や友人の元へ手紙とともに、商品を1箱(30本)贈ることができるキャンペーンです。
とても人間関係を大切にされる温かみのある施策ですよね!そんな岸上克彦さんの家族構成が気なりますが、明確な情報は見つからず、おそらく3人家族以上かと思われます!
千葉営業所長に就任した1993年(40歳)のお盆の時期、子どもを連れて実家に帰省したときのエピソード。
父から総革張りのアタッシュケースを貰ったそうです。
まだまだ身分不相応だったが、ここ一番の商談のときに使った「勝負カバン」で10年くらいは使ったそうです。
カルピスの命名を巡るエピソード
カルピスの誕生日をご存じだろうか!
そして元々カルピスは「カルピル」で売り出そうとされていたことをご存じだろうか!
カルピスの誕生日は1919年の七夕7月7日であった。そもそも一体カルピスはどこで生まれたのだるか。
それはカルピス社の創始者、三島海雲という青年がモンゴルのジャンバルジャヴという名の貴族の食卓で見た絞りたての牛乳から作られた乳製品からだった。
ジョウヒと呼ばれ、口にした瞬間、これがモンゴル人の活力の源であることに気付くのであった。このモンゴル乳製品の商品化に取り掛かった。
4年間の試行錯誤で1919年7月7日にカルピスが誕生する。
これがもともとカルピルだったというが、「カル」はカルシウムのカル。「ピル」は佛教の言葉で”最高の教え”を意味するサルピルマンダ。
「サルピルマンダ」とは、インドの発酵乳製品のこと。
それが「醍醐」と訳され、「最上の教え」と転じていったそうです!
本当の面白さなどを意味する「醍醐味」はここからきているんですよね!
「あかとんぼ」の作曲家である山田耕作さんから「カルピスは響きがいい。音声学的に見てもいいですよ」とお墨付きもあったのことでしょうね。
おわりに
さて皆様いかがでしたでしょうか?
今回は「岸上克彦(アサヒ飲料)のプロフィールや経歴は?出身校と家族構成も」と題してお送りさせていただきました。
カルピスの誕生について一番印象的ですね!
普段から飲んでいたカルピスにあんな背景があったなんて、初めて知る方も多いのではないでしょうか。カルピスに対する見方が変わりましたものね。
カルピスは健康食品といっても良いかもしれませんね!
そして三島さんの経歴もまた凄まじいものがありそうに感じました。しかし、カルピスをここまで大きくなったのも岸上克彦さんの幸運思考があったからですね!
今後もカルピスブランドに注目ですね!
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。
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