拝謁記とは何で読み方や意味が気になる!内容は昭和天皇のお言葉?

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皆様こんにちは!

「拝謁記」がNHKで公開されましたね。

といっても、筆者はなんのことかさっぱりでしたが、ニュースになっていたので詳しく見てみると、どうやら超一級の歴史的資料のようです。

しかも、昭和天皇が関わっているそうですね。

公開された拝謁記は8月16日以降に、ご遺族の了解を得て報道番組や新聞で報じられていたようです。

今になってどうして公開されることになったのか、いろんな意味で気になることが満載です。

まずは簡単に拝謁記について調べることにして、より詳細はまたの機会に!

では、今回は「拝謁記とは何で読み方や意味が気になる!内容は昭和天皇のお言葉?」と題してお送りいたします。

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拝謁記とは何で読み方や意味が気になる!

「拝謁」は「はいえつ」と読みます。

意味は「身分の高い人に面会することをへりくだっていう言葉」です。

宮内庁用語でもあり、天皇や皇后に国内の要人などが公式にお会いすることを表します。

そういったことが記されたものですから、拝謁記とは「天皇に要人がお会いして会話した記録など」と纏めることができると思います。

この拝謁記を記していたのは、民間出身の初代宮内庁長官であった「田島道治」で、5年半宮内庁でトップを務めていました。

在任中は600回あまり延べ300時間を超える昭和天皇との対話が詳細に記されていたようです。(1949年2月~1953年12月)

拝謁記の内容は昭和天皇のお言葉?

この拝謁記によって、当時の昭和天皇の言動が裏付けられ、新しい事実などが発見されました。

また、昭和天皇は戦争への後悔を繰り返し語り、国民に深い悔恨と反省の気持ちを表したいと強く希望したものの、当時の吉田茂総理大臣の反対によって一部分が削られていたことが分かったのです。

「昭和天皇は生涯、公の場で戦争の悔恨や反省を明確に語ったことはなく、これほど深い後悔の思いを語ろうとしていたのは驚きだ」

分析にあたった専門家の一人は、上記のように聞いたことのない昭和天皇の想いに驚いていますね。

強くこだわった反省

裏付けの例ですが、サンフランシスコ平和条約発効後の昭和27年(1952年)5月3日に日本の独立回復を祝う式典で、戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省の気持ちを国民の前で表明したいと、強く希望していたことが分かっています。

「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」

の昭和天皇のお言葉に対し、

「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」

と反対していました。

戦争の火種が、日本にあることを指摘される懸念があったということでしょうか。

他にも、二・二六事件や太平洋戦争などの回想も登場し、退位についても国民に問おうとしていた。

改憲や軍備についても、言及されていたが、「政治ニ天皇は関与されぬ御立場」と吉田首相はいさめている。

おわりに

さて皆様いかがでしたでしょうか?

今回は「拝謁記とは何で読み方や意味が気になる!内容は昭和天皇のお言葉?」と題してお送りさせていただきました。

あまり歴史は得意ではなかった筆者ですが、この件については、とにかく昭和天皇は我々国民に伝えたいことがあったけど、政治的な事情があって、いうに言えない苦渋の選択をして、苦しんでいたってことは分かりました!涙

いままでの習った歴史にはないことが明らかになって良かったんじゃないかなて思います。

ここまで天皇を身近に感じたのは初めてですね。

戦争の中、どんな思いだったのか戦争の時代を知らない筆者ですが、伝わってきました。

戦争を生きた人はどのように感じるのでしょうか?また詳しく別の記事で追っていきたいなと思います。

それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。

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