皆様こんにちは!
NHKスペシャルで拝謁記について取り上げられました。
ある人物と昭和天皇との対話を記録したものであることが分かっており、いままで聞いたこともなかった昭和天皇のお言葉が書いてありました。
この昭和天皇との対話の書き手が、初代宮内庁長官の「田島道治(たじま みちじ)」さんでした。
公務を全うしきった田島道治さんですが、実業家でもあります。
今回は「田島道治(ソニー会長)の子孫や家系は?経歴や職業と日記も!」と題してお送りいたします。
田島道治(ソニー会長)の子孫や家系は?
元々、実業家であった田島道治さんですが、戦後、宮内庁長官を務めています、いったいどんな経緯があってなのか、田島道治さんの家系や子孫について見ていきましょう。
田島道治さんの家族構成について調べましたが、一部だけですが以下のようになっています。
- 父:田島五郎作
- 母:不明
道治さんの妻:野々村ミシ(貴族院議員 野々村久次郎の三女)
長男:田島譲治
二男:田島恭二
以下、田島道治さんお子さんお孫さん曾孫までですかね。
■田島譲治
1911年 誕生
1961年 学習院大学教授
1982年 学習院大学名誉教授
父:田島道治
母:野々村ミシ(★貴族院議員 野々村久次郎の三女、★野々村佐一郎の妹)
妻:松岡周(衆議院議員 松岡洋右の長女)
長男:田島圭介
■田島圭介
慶應義塾大学助教授
父:田島譲治
母:松岡周(衆議院議員 松岡洋右の長女)
妻:高木まり子(★京都大学名誉教授 高木秀夫の長女)
長男:田島知之
二男:田島俊二
長女:田島悠子
■田島知之
1976年 誕生
父:田島圭介
母:高木まり子(★京都大学名誉教授 高木秀夫の長女)
■田島俊二
1978年 誕生
父:田島圭介
母:高木まり子(★京都大学名誉教授 高木秀夫の長女)
■田島恭二
1917年 誕生
岩波書店
朝日新聞社
父:田島道治
母:野々村ミシ(★貴族院議員 野々村久次郎の三女、★野々村佐一郎の妹)
妻:白石千代子(白石宗城の二女)
田島道治(ソニー会長)の経歴や職業と日記も!
田島道治さんは1885年7月2日生まれ。
愛知県名古屋市中区伊勢山町に三男として生まれます。銀行家、宮内庁長官、後のソニーとなった東京通信工業の監査役をしています。
戦後の1946年の7月に貴族院議員に勅選されています。「勅撰」とは天皇自ら選ぶことを意味します。
ここから日本国憲法などの重要法案審議に関わるようになりました。
奥さんや子どもの学歴をみると、学習院など皇室に関わる要素が多いので不思議に思ってました。
略歴
- 1885年 – 愛知県に生まれる
- 1910年 – 東京帝国大学独法科卒業。愛知銀行調査部長、鉄道院参事、人事課長兼総裁秘書、愛知銀行、昭和銀行各常務、同頭取、日本産金振興社長、金融統制会理事、東京興信所長
- 1945年 – 日銀参与
- 1946年 – 大日本育英会長、貴族院議員
- 1948年 – 宮内庁長官( – 1953年)
- 1954年 – 日銀監事
- 1956年 – 日赤監事を務め東京市政調査会監事、学習院、日本育英会各評議員、中央教育審議会委員を兼任
- 1959年 – ソニー会長
- 1961年 – ソニー商事取締役
- 1968年 – 死去。83歳没
大学時代は新渡戸稲造を敬愛し、新渡戸家に書生として住み込みをしていました。新渡戸の死後、「新渡戸稲造、内村鑑三の門下生」の中心人物の1人となっています。
宮中ではクリスチャンコンビを「田島-三谷」「宇佐美-田島」とリレーされ、戦後の宮中改革に尽力してきました。
皇太子妃の選考
また、宮中民主主義の教育促進や美智子皇太子妃の実現に貢献しています。
上皇さまの皇太子時代の側近トップ故鈴木菊男東宮大夫が、当時の宮内庁長官であった田島道治に就学中の女子の調査を極秘で命じられていたそうですね。
「両親はじめ御家庭環境等すべての条件において正田美智子さまほど適はしい(※注4)と思われるお方はなかった」
と評価がされていたそうですね。
上皇さまは、正田美智子さまと出会い、この良縁を「神慮」と表現したそう!
おわりに
さて皆様いかがでしたでしょうか?
今回は「田島道治(ソニー会長)の子孫や家系は?経歴や職業と日記も!」と題してお送りさせていただきました。
田島道治さんの生涯は国のために尽くしてきた生涯だったのだと思いました。
こういう政治や皇室関係に縁がないと分かりませんが、知ることで戦後の日本についての歴史を勉強する意欲が湧いてきますね。
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。
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