皆様こんにちは!
本記事では、映画「竜とそばかすの姫」の主に感想や筆者目線から観てどんな映画だったのか書いていけたらと思います。
最初に言っておきますが、筆者は普段から映画を観ることはありませんし、詳しくもありません。
偶々観に行くことになり、映画の内容も「誰かを探す」みたいな感じにしか把握してない状態で、デジモンの映画「ぼくらのウォーゲーム」の監督さんということも知らずに、デジモンは好きなんですけど、ほぼ真っ新な状態で観に行きました。
一通り見終わって、何を伝えたかった映画なのか様々な観点はありますが、
- 現代社会の子どもから大人に成長できない子どもの闇やトラウマ、そしてそこを克服するための鍵が自己犠牲である。
みたいなものを描いた作品なのかと結論づけました。
映画通ではないので、他の作品との比較や良し悪しは何とも言えませんが、良い映画だったと思います。
【竜とそばかすの姫】のネタバレや考察
先の結論で述べた通り、現代社会の子どもたちが抱える闇みたいなものがあり、そこから克服していくには自己犠牲、トラウマを克服する必要があり、主人公のすずは自身の殻を破ったといえます。
すずのお母さんは、すずよりも他人の子どもを優先して、危険を顧みずに激流の川の孤島に取り残された男の子を助けるために飛び込んでいきました。
なぜお母さんは自分よりも他人の子どもを助けるのかと、ずっと理解できないまま心のつっかえとなっていましたね。
しかし、竜の存在がすずの母性といいますか、放っておけない気持ちにさせ、竜が誰なのか追及していく展開になりました。
ここで映画を観た人たちがほとんど、なぜいきなり前振りもなく、竜を探しにいくことになるのかとなったはずです。
それはおいておいて
つまり、竜を放っておけずに探そうとするすずと、激流の川の孤島に取り残された男の子を危険を顧みずに助けに行こうとしたお母さんが対比になっているのです。
すずは竜の正体を突き止め、ネットで接触を試みますが、ベルの姿ではないので相手は信じてくれませんでした。
どうしたら私のことをベルだと信じて貰えるのか?
すずは自分がベルであることを知らせるために、正体を晒すことに迫られます。
竜とベルは「U」空間で何度も会っており、竜はベルの歌も知っています。
もう一度、歌えば必ず竜は来てくれる。
でもすず本人の姿で歌わなければ、ベルがすずであることを理解してもらえません。
五億人のユーザーがいる「U」空間の中で正体を晒し歌うことはすずにとっては一大事です。
自分の姿を隠して築き上げてきたネット空間の世界を壊し、正体を晒し笑いものにされ誹謗中傷を受けてしまうのではと不安に駆られ殻に閉じこもってしまう心、これがお母さんになぜ私を助けてくれなかったのかと、一種の駄々をこねる子どもの姿を描写しています。
一方、すずのお母さんのように危険を顧みずに自己犠牲の精神で男の子を助ける。他人の目を気にせず自分の軸がしっかりとしている、良い意味での大人といえます。
この瞬間に、すずは子どもと大人の境界線に立たされてしまったということなのです。
結果、すずは自身の体裁を繕わず、竜のために正体を晒し歌い切ります。
歌い切った後のすずの顔つきは、以前のすずとは大違いでした。
自己犠牲により一つ殻を破ったからこそ、現実と虚実を一つにすることができたと思います。
【竜とそばかすの姫】の感想
映画の内容自体は、展開が飛び飛びで視聴者を混乱させるような作りになっていたと思います。
現実世界と「U」空間が織り交ざっているので、あっちこっちと行ったり来たりと、デジモンの世界みたいな感じでしたね。
どうして今この展開になっているのか思考が追い付かないので、途中少し観ながら疲れてしまいました(笑)
ベルの歌はめっちゃ良かったですね。
意味が分からんまま進んで消化不良になりそうでしたが、それなりに解釈できたので満足です(笑)
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。
コメント